かごしま農36景
我田引水
「浜の真砂と・・・」にたとえられるぐらいに贈収賄事件は後を絶たない。贈収賄事件は人間の過ぎた欲の表れだが、これを表す言葉として「我田引水」が用いられる。「我田引水」は、「自分の田にだけ水を引くこと」の意から出ているという。
稲作が我が国に普及した弥生時代の代表的遺跡に登呂遺跡(静岡県)がある。同遺跡では低地に水田が拓ける。その中央部に用水と排水を調節できる水路が設けられ、畦が造られ、木板と木杭で張り巡らされたという。そして50以上の長方形の区画に分けられていた。この区間は、象形文字“田”に見るように四画だ。だが、区画は、本来水を貯める仕切り。従って傾斜地では小さく、形状も様々。平坦地の水田であっても水利条件の厳しいところでは、大区画の中にたたみ1枚か2枚ほどの区画が無数に設けられ、水を効率的に使おうとする工夫が見られる。そこからは「我田引水」が水の駆け引きから生まれたものと思わずにはいられない。事実、水の確保を巡っての争いは枚挙にいとまがない。
しかしながら、田の水利メカニズムは循環にある。そのことは、まず梅雨期の田植えに始まる。田植えは降雨を使って行われるが、用水は河川から海に。次に河川の上流部で取水された用水は、田を潤し稲の吸収と蒸発に消費されるが、大部分は地下水になったり、河川に戻り、再び下流で用水として使われ河川に戻ることだ。さらには、ほ場からほ場への水供給がある。これを田越しかんがいという。このことは広く繰り返され、ほ場レベルでの水循環、言い換えると、田の水利メカニズムの最小単位である。
こうして見てくると、先人の拓いた田は、自然の水循環の中に人口の水循環を組み込んだシステムを編み出したといえる。私たちは、そこに自然系と人口系の縫い目のない世界を見出す。むしろ、自然系に同化された世界といった方が適当であろう。そこにある「我田引水」は、留まることのない水循環の話である。「自分の田だけ」は人間様の仕業。「我懐引金」も留まることのない金循環の世界であると、リクルート事件は教えているのか。1994年9月27日にリ事件の判決があった。
(1995年12月)
◇「かごしま農36景/発行:鹿児島県農業農村整備情報センター」より
文:門松経久
写真:徳永 光博「五月晴れ」第3回かごしまフォト農美展